古墳に入りたい

大学生活も残り半年でございます

私的ポエム論

これは私的タヒ論をなんとなくまとめるための助走であり、空虚な反論です。

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誰にでも黒歴史ノートなんてものがあったりする。誰にでも、ではないのかな。でも多くの人はある日素敵な言葉を思いつき、そのきらめきに少し浮ついてメモの1つでもしたくなったことがあるはずだ。問題はその出口で、紙にインクで記すことかもしれないし、今ならメモ帳アプリかもしれない。twitterにはクソポエムが溢れる。クソだなんて大変失礼なことを書いてしまった。でもポエムは全てクソであり、クソでない。

 

し【詩】

1 文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。
漢詩のこと。

 

 

僕たちがポエムと言うとき、それは詩とは違う。ふわふわしたロマンチックや、過剰なセンチメンタルを指す。ポエマーとは一種の蔑称であり、若さへの嫉妬でもある。ポエムとはよむものであり詠うものであり短すぎず時にやたらと長い。感情の表出であり表現に至らない未熟さ。感傷的、観念的、自己陶酔。

 

分析的ではなく主観的で現実に着地していない言葉がポエムだとすれば、反対に現実のほうこそがポエム化する。例えば政治の言葉は反ポエム的態度を必然的に取らねばならない。にも関わらずその本性はポエジーであり根幹は主観と感覚である。それは届くことを必要とするからであり間主観的に共感できるのは主観の力が必要だからだ。今人気の?日本会議なんてまさに観念的集団である。ポエムとは言葉遊びであり、政治とそれは切り離せない。

 

ポエムは現実を溶かし無力化する。jpopもロックも小説も映画もエンタメは全て心の弱さに漬け込む商売である。経済効率的に合理的選択を妨げる観念がこの世には溢れている。いらんこと考える暇があるなら働けば良い。でも人間は結局文化に縋ってしまう。ポエムは人類の進化を止めた。

 

 

ではポエムは悪いことなのかというとそうでもない。ポエムは誰の心にも住んでいるし全ての言葉は常にポエム化しうる。何かを客観視すること自体もポエムであり主観の檻からは逃れられないことをむしろ鮮やかに示してしまう。

 

ポエムという言葉は人を傷つける。表現を表出に貶める。でも負のエネルギーを持ったポエム、ポエマーという言葉をぼくはあえて採用したくなる。それは自信の無さ、無責任さの表れかもしれない。

 

ポエムのもつ青さが好きだから、私はまだ若いのだから。ポエムをよむ人はやさしい人だから好きだから。そして感情は間違いではない。

でも、でも、表現というフィールドに飛び立とうと思ったらポエムを一度捨てなければいけない。難解さの海に飛び込んで明瞭さを模索したすえに辿り着く言葉が隅々まで染み渡るようなポエムであればそれでいい。それが理想的だ。

 

 

だから、あなたの言葉を捨てないでほしい。ポエムなんて言われたってそれは見る側の目が腐っていただけだ。

 

ポエムなんてポエムだよ。

言葉に境界なんてない。

脱ポエムしながらポエム回帰しながら、ポエムという概念は気づいたら崩壊していく。シナプスからシナプスに放たれた言葉は全て全肯定されるべき表現であり言葉はいつも言葉そのものである。それ以上でも以下でもない。

 

そういうことだからね