古墳に入りたい

大学生活も残り半年でございます

自傷行為としてのヘイトスピーチについてのノート

真面目なメモです。

 

なぜヘイトスピーチがなくならないのか。

想像力の不足?ストレスのはけ口?教育の失敗?規制の問題?

 

前提として、ヘイトスピーチを他者を傷つける言動として広義に考える。排他的な言葉はこちらが発信者であれば快感かもしれない。しかし関係性が逆転しうることを考えるとそれはリスキーだ。例えば、ある国の人を排除しようとすることは、その国で自分たちが排除される危険性を増大させる。つまり、誰かを傷つけるには傷つけられる覚悟が必要だ、ということだ。その覚悟は、換言すれば心が荒むということだ。

 

では、なぜそんなリスクを冒すのか。

その答えを僕は自傷行為だと考えた。

 

つまり傷つくことをあえてしているのだ。自傷行為の目的は死ぬことではない。1つは自分を確認するため。もう1つは他者に承認されるため。ここでも自傷をかなり広い意味でとる。つまり一種の虚言で自分の立場を悪くしてしまうことも自傷行為だ。そしてヘイトスピーチは言葉を発することであるので他者に驚かれる、ひかれることで自分たちを確認する行為だといえる。反応があることで境界を確定できるのだ。そしてそこには受けいれうる批判や対話はない。それは演技の一種で本当の排除ではない。だからヘイトスピーチヘイトクライムの間には高い壁がある。ただ、クライムもまた身投げ的な意味が強い。あくまでマイノリティとしてマイノリティを攻撃するのである。悪の生産性は存在しない。なにも生み出さない。

 

誰かを傷つける言動は自分も傷つける。

それを好き好んでするのは病んでいる。

 

対話、は必要だけれど難しいのはそれが病だからだ。まず病を脱すること。そのクスリはどこにあるのだろうか。それとも精神薬中毒に陥るだけなのか。

 

それとも、病を病と呼ぶ側もまた別の病に侵されているのだろうか。