古墳に入りたい

就活日記

病と名前

精神科医になりたいと、ふと思った。

承認をめぐる病

承認をめぐる病

 

 

それはこの本を読んでいたからだけど、

精神科医になれば、曖昧な苦しみへの明晰な判断を下せるんじゃないかと。皮膚科と神経科は似ているらしい。なぜならどちらも外胚葉由来だから。なるほどね、カエルの発生図を思い出したよ。皮膚はストレスをアウトプットする。そしてそれらの病には診断方法があるが、それは不完全だ。マニュアルよりも言葉にならない経験が役に立つことも多い。例えば、顔を10秒見るだけでどんな精神病かわかってしまう。病理、異常は界面に生ずるから、テクスチャー感覚、例えばプレコックス感を知覚すれば一瞬で統合失調症だと判断がつく。感覚が重要なので、いい精神科医を見つけるのって難しそうだ。ってことはいい精神科医になるのも簡単ではないんだよね。

 

この本にでてくる、「境界例」の説明を読んだ時、あぁ僕のことかと思った。「うそ!わたし病なの???」いつも他人を求めていて承認欲が強く自分の中に空虚感を抱く。チェックリストをチェックしていくうちに、当てはまることに気づいた。人口の2%は境界例であり、肌感覚だと若年層の15%程度はそうなんじゃないかな?極論、たいていの人間、とりわけ若者はなんらかの人格障害(特徴、特性)なんじゃねーのって思っている。

 

 そう、病には名前がある。

でも、うつ病の主流がメランコリー型から現代型(ディスチミア親和型)に変わったように、それはスペクトラムのある範囲を切り取ったものに過ぎない。肌荒れにあれこれ名前をつけるのと同じだ。

 

何でもかんでも、名前で呼ぶ。関係性とか、役職とか。中身を変えるために名前を変える。

ハイパーメディアクリエーター、セフレじゃなくてソフレ、お前は正規じゃない非正規、見習い、恋人etc

 

そして安心する。安定している。ただの記号の海の中に、確からしいものを見いだす。

 

でも境界はときに暴走する。

君たちは大抵IQ300以下の劣等種、100メートルを10秒きれない程度の運動能力、ときに涙を流すほど不安定で笑うべきところで笑えないほど感性が未発達。

つまり、みんながみんな病。

 

もっとシンプルに考えよう。風邪をひいたときそれは風邪なんだけど、実はインフルだってこともある。そこから脱するための対策を見つける上で、名前が役に立っているわけだ。

 

じゃあ問題の焦点はなにかというと、外胚葉由来の皮膚と神経はその人の存在そのものだってこと、そしてそこに名前をつけるのは難しいってことなんじゃないか?性格、個性、見た目、肌の調子。どれも不安定で正解がないから名前をつけ続けると、結局なんなのか分からなくなる。本当は名前なんてなかったんだから。そして病は、ないほうが断然いいんだからね。

 

名前をつけるのも一種の病。人間って面倒くせえ生き物だってこと。