古墳に入りたい

就活日記

#ブラックボックス展 を否定したい

僕らは、そとのひとよ

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最果タヒ曰く

感情はサブカル。現象はエンタメ。


サザエbotで話題になった中の人こと、なかのひとよ氏の個展?であるブラックボックス展が終幕した。

#ブラックボックス展 “アルテマレベル” – ANONISM

一体全体、何があるかわからない。twitter上では、泣いたとか叫んだとか発狂したなんて感想が溢れる。しかも、無表情の身長2メートル近い黒人(バウンサー)によって拒否された者は入場することすらできない。

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僕は1回目は2時間、次に最終日に4時間半並んだ。雨は降らなかったのだけど、日差しが強くかなりの苦痛だった。そして、両日ともバウンサーにはじかれた。高鳴る鼓動もアッサリと拒否される。黒い手のひらが少しだけ動いて、苦労が徒労と帰す。黒い服なら入れるという情報もむなしく、5人に1人も通してもらえない。

そう、僕は入場していない。その上でタネ明かしに対して批判をしたいと思う。それは、外側からの、被害者からの、加害者にすらなれなかった(であることに気づけなかった)者の僻みであり、怒り。


そして、真実は…

真っ暗な部屋

そして、その感想をSNS上に流して恐怖を作り上げていくこと。

(つまり被害者から加害者になること)


なんだ、そんなことか。
でも、肝要なのはむしろ選別が行われるということだ。

警察が出動するほどの異常な行列は、それ自体が展示とも言われた。実際道行く人に、なんで並んでるの?と何度か聞かれ、何があるか分からないけど並んでるんですよ〜って答えた。六本木の外国人カップルは理解してくれなかったけど。行列はそれはそれは行儀良いものだった。騒いだり、2列になるとバウンサーに排除され強制帰宅となるから、恐怖を内面化した群衆は真面目に並んでいたのだ。

そして待ち受ける選別。人々は疑心暗鬼になる。入場できる資格とは何か。バウンサーのいない時間に入れる運のいい人もいた。運ではなく、そこには確かな基準がある。何をもとに選ばれるのか分からない恐怖。挫かれた者は意外な程素直に現実を受け入れる。
展覧会やアートが開かれている、というのは思い込みだ。もしくはこれは展覧会でもアートでもないのかもしれない。

外傷性の絆、という言葉がある。虐待やDVなどで暴力と救済の区別がつかなくなり、対象と親密な関係を持ち続けることをいう。
行列からの選別はまさにこれで、なかのひとよ氏の理不尽に対して怒りを表出することは、踊らされてることを自覚して並んだ自分自身を壊すことになる。踊らされてたと同時に踊ってたんだ、と思いたいのが人間心理だ。

そして帰宅する。twitterを眺めながら仕方なく。選ばれなかった事実と謎を抱えたままもやもやする。

受け入れる側の体制の不備も感じた。でもそれを責めるのはお門違いだ。小さな展示に群がっている虫は僕らだ。


さて、なかのひとよ氏は一体何をしたかったのだろうか。

なかのひとよ氏のnote。そこにある言葉は、三流のSFのようだ。2061年から地球滅亡を防ぎにやってきた。そんな未来になっても過去の知恵にたより、ポエミーな言葉で愛を歌っているのか人類は。自己啓発チックに同じメッセージを繰り返すんだ。なんか安心した。シンギュラリティ、イノベーションメッセンジャー。それはあまりに陳腐だよ。

 

ぼくは、なかのひとよ氏の本気を疑う。だから最果タヒの言葉を冒頭に持ってきた。世界を救済する感情も現象も、もはやサブカルでありエンタメにしかならない。集合知などない。あなたの行為はエンタメの域を脱することができないのではないだろうか。いや、それ込みなのか、それとも真剣なのか、ぼくには分からない。

 


なかのひとよに連れられて洗脳されなかった僕らは、そとのひと。
そしてまたそとの世界を生きるのだ。
2061は遠い。未来人の言葉などいらない。

世界はあなただ。
しかしあなたがいなくても世界は続く。
選別はそういうメッセージだ。

そして、総体を切り離した世界で生き続けることが可能であることが明らかである。選ぶ、選ばれない以前に知っていて行かない、サザエbot笑アホくさという選択もあったのだから。

グッバイなかのひとよ。
そとのひとは怒ってるぜ。

選ばれない気づかない救われない
その苦痛を噛み締めて生きろってか

 

あー、やっぱり入りたかったなぁ…