古墳に入りたい

就活日記

ぶろぐ_こみゅにけーしょん_

僕の将来どうなんのかな、

幸せになれんのかな……

 

そんなこと思いながら、ブログを書き始めてだいたい一ヶ月がたった

 

公開記事はこれで38本

出版就活についての記録もかなりの量、下書きで書き溜めている

他にも、おみくじの戦績(上半期で公開予定)とか、国立の猫の観察記録など長期的な書きかけ記事も結構ある

 

メモ帳には、いつも10本くらいのネタのタネがあって、どこまでいったら書くか考えている

ブログによって一番変わったのはそこで、記事になるなら行ってみようとか、記事のタネを探しに行こうって思うようになったこと

行動力が上がったんだね

 

それにしても一ヶ月は長かった

最近は時間が止まってるんじゃないかってくらい時が流れない

それはお得なようでいて、あまりに行き過ぎていて戸惑う

その時間の濃密さが、ブログによってもたらされたものなのかは分からないけれどそれも、少しありそう

 

 

で、ブログってなんなんだろうってのも考えるようになった

ブログの時代は終わったと言われて久しいし、僕も時代遅れのコミュニケーションだと思う

twitterなりfacebookなりはやはり優勢だし、自己承認欲求を満たしてくれているはずだ

金儲けの手段としても、自分がコンテンツを作るよりもキュレーションした方がアクセスは稼げる

だから、稼ぎたいとか、人の役に立ちたいとか、認めてもらいたいって人はブログを書く必要はないし、実際書かなくなっている

 

でも僕はブログを書いていて単純に楽しい

シンプルに

別に誰かに読んでほしいわけじゃないし、ただネット空間に向かってゴミを捨てているだけなのかもしれない

自分の足で頑張って取材しても、どうでもいい悪口を書いてもどっちでもよくて、

ただただ自分の中に溜まった澱を定期的に固めるテンプルで個体にして燃えるゴミに出しているだけ

普通にスッキリしたいだけ

 

でも…

そう、でも。

それでも。

自分の中にある言葉

自分が好きな文体。内面化された言葉が、わたし構文として刻まれていく。

それは誰かに解読されることを期待している。

 

自分の内面や価値を誰かが、認めると期待しているのだろうか。

だろうか?

またしても、わたしの言葉

 

 

誰も読者がいない、一年以上更新されていないブログを見つけたとき、少し嬉しくなる

僕は君を見つけたよって

見つかって欲しかったのかは知らない

でも、twitterで呟くよりも

重い想いをもって、ブログを開設し、たった2つの記事をネットの海に流して、僕の元へ届けてくれたことに感動する

 

ブログは成立しないコミュニケーションだ。

だ。

それも僕の言葉。

繋がるかも分からないのに自分を濃密に紡いでいく痛々しさ

それは、小さい子が砂山に壮大な城を築き上げるのに似ている

まっすぐな表現欲があって、それは承認欲からは離れてある

だからブログは好き

 

 

ブログを書くようになって、ひとに勧めることも増えた

書いてほしいってのもそうだし、自分のブログを紹介文として使う

これが私です!

なんてね、

そこにどんな理解があるかは知らない

本当は読んでないかもしれないし、めんどくさい人だと思われるのかもしれない

かもしれない

それも冗長な常套句

 うん、

お見合いなんかでは使えるかもね

事前に予習してきてください!なんて

読んでるうちに嫌になったりして

 

 

ぶろぐ_こみゅにけーしょんはディスコミュニケーション

自分勝手で傲慢で濃密な私自身の記録

わたし文体とわたし構文が無意味に繰り返される文字列のデータ

 でも、よいのです

 

楽しいから

 

だからブログ書き始める背中を押してくれた某氏に密かに感謝です