古墳に入りたい

大学生活も残り半年でございます

Trainspottinngの20年

ほぼネタバレ

 

  • 前作の概要(あらすじ)

1996年、公開。80年代終わりのスコットランドを舞台にした映画Trainspottingは爆発的なヒットを記録した。ヘロイン中毒の若者たちが、悪事に手を染めながらヤク中から抜けられず、もがき続ける。

主人公はレントン。その親友でかっこつけているのがシックボーイ。いつもおどおどしているネズミ男みたいなのがスパッド。一番普通の青年がトミーで最も暴力的で危ない奴がベグビー。

監督はスラムドックミリオネアのダニーボイル。レントン役のユアンマクレガーは言わずと知れたアナキン・スカイウォーカー

ポスター

右から主人公レントン、スパッド、シックボーイ、ダイアン、ベグビー

 

80年代後半、スコットランドには金も希望もなく、どんよりした雲の下であるのはヘロインだけだった。

物語の軸にあるのは暴力。ヘロインで自分を殺しながら、金を得るために、けんかや盗みを繰り返して周りを殺していく。たびたびその悪循環からの脱出(禁ヤク)を試みる。が、失敗を繰り返す。

象徴的なのは赤子殺しだ。彼らのアジトにはアリソンという女性がいる。アリソンの赤ちゃんは、ヤク中たちがクスリに夢中になっている傍らで死ぬ。赤子の父はシックボーイ。そのショックを麻薬で紛らわせようとますます落ちていく。

 

唯一ヘロインに手を出さなかったトミーもレントンからクスリを買う。運悪く、注射針の使いまわしによって当時流行したHIVにトミーは感染する。

そしてスパッドは警察に捕まり、刑務所にはいることとなる。レントンは自宅に監禁され、禁断症状に苦しみながらもヤク中を脱する。

まともに生きようとレントンはロンドンで働き始めるが、ベグビーたちが押し掛けたせいで失業。スコットランドに戻るとトミーが亡くなったことが判明する。レントンは間接的に親友を殺したわけだ。なんど這い上がろうとしても、クスリからは逃れられない。

トミーの葬式後、ベグビーはロンドンでのビックな麻薬取引を提案する。目の前に転がり込んだチャンス。人生を変えるために、彼らは最後の悪事に手を染める。取引は成功。彼らは大金を手にした。

 

しかしクライマックス、レントンはほかのやつらが眠りこけている間に、その金を持ち逃げする。

「トレインスポッティング」の画像検索結果

 

この金で、「普通」に、まともに生きていく。

どれだけもがいても脱することのできなかった、イギリスの片田舎のスコットランドの悲惨なヤク中の世界から全力で逃げ出すレントンの姿に、胸を打たれるわけです。

 

  • 前作はなぜ売れたのか?

うーーん。20年前に生きていないから、それはわからないというのが正直なところ。

でもこれがすごいのは、ヘロインのいい面も悪い面も全部映画として表現できていることでしょう。幻覚をみている状態と、刺激の強い音と映像に曝される状態というのは本質的には同じだと思う。だから、クスリで飛んでいるときの気持ちよさとバッドトリップ、そして押し寄せる現実を登場人物と同時に体験できる。それって、薬物禁止だめぜったい的なビデオではありえないことでしょう。どちらが効果的はわからないけど……事実この映画を見て憧れて、バッドボーイになっちゃうやつが当時いたとしてもおかしくない。

かつ80年代後半のダンサブルな?音楽の使い方や、ユーモアあふれる映像も魅力だったんだと思う。クリエイティブ系の人にはこの映画のファンが多いはず。

 

運命に抗いながら、流されながら、それでも最後の裏切りによって未来へと進んでいく

そのカタルシスは鳥肌もの

それは20年たっても変わらない。

 

  • そして20年が経った

僕と同い年の映画に、成人してまためぐり合うというのは不思議なことだ。

 「トレインスポッティング2」の画像検索結果

若かった彼らは中年になった。ベグビーは刑務所(脱走)。スパッドはヤク中で自殺未遂。シックボーイはしけたパブをやりながら脅迫で稼いでいる。そしてレントンはちゃんと働いている(はずだった)。

結論から言えば、あいかわらず悪いことをする。

ヘロインはあんまりやらなくなった。ここぞというところでどっぷりとクスリに溺れるのがおじさんスタイルなのか。でも底辺は底辺のままで、あいかわらずろくな人生を歩めていない。

ガキの心のまま大きくなってしまった感じ。それでも彼らには歩んできた20年があって、それぞれの形で子供や妻がいる。

 

そう、T2の主題は家族だ。

一作目では家族というものは常にわきにいた。実際、物語を進めていくのはレントンの語りであり、主観の海を泳いでいる感じだった。

でも時がたって、うまくはいってはいないけれどつながりができていた。社会にはあいかわらずなじめず、さらに言えばグローバルなシステムからも疎外された彼らにはそれでも彼らをつなぎとめるものがあった。

しかしそれも失われてしまう。彼らは幸せを掴めない。

新しく選び取った関係性=家族は、過去の負債と自らの性質によって破壊される。

 

思い出されるのは経路依存、という言葉だ。言い換えればイナーシャ(慣性)。そんな難しい言葉はいらないと思うのだけど、過去が現在へと影響を与えてくる感覚はまさにそんな言葉がふさわしい。

エジンバラに戻ったレントンは、あの日の裏切りの代償を払うことになる。

持ち逃げされた男たちは、あの金があれば幸せな人生を歩んでいたと夢想しレントンを恨む。

だが、きっとそれは違う。

大金があったとしても彼らはまたクスリに走り、悪に手を染めたはず。

そして金を手にしたはずのレントンすら幸せをとりのがしてしまうのだから……

 

  • 選ぶこと

舞台であるスコットランドもこの20年でかなり変わった。モノレール?みたいなインフラの開発、ランドマークであるエディンバラ城のライトアップ。堅く暗く閉ざされたイメージが払しょくされた感がある。

「エジンバラ」の画像検索結果

一方、シックボーイの構えるパブは開発の恩恵を受けていない地域にある。過剰な街のきれいさと、辺境の暗さのギャップが印象的だった。

 

とはいえスコットランド自身もこの20年激動を経験しているわけで、独立をめぐる問題も当然尾を引いている。プロテスタントカトリックに対する勝利という話題が提供されるのもその関連なのかな??

 

作品の一つのメッセージは、選ぶこと

レントンはあの日、金をもって逃げることを選んだ

それでも戻ってきてしまう

悪いほうを常に選んでいく(選ばされていく)

低きに流れていく

でもそれが、自然の摂理のような一種の気持ちよさにも感じられる

 

スコットランドも、独立しないことを選んだ。

一方イギリスはEUから離脱した

それがいい選択なのかはわからない

けれどダニーボイルは、お前が選んだんだ、と語りかけている気がした。

 

  • 腑に落ちていく

T2は腑に落ちていく作品だ。

 

例えば、シックボーイがガールフレンドをオレの女といいつつもどことなくよそよそしいのはかつての赤子殺しのトラウマがあるからだ。そして彼はいまだに麻薬漬け(コカイン)の状態にある。

レントンはトミーの死についての責任を感じているし、スパッドは最後に分け前を残してくれたレントンに恩を感じている。

 

 

そしてタイトルであるTrainspottingという言葉の謎も解明される

 

トレインスポッティングとはもともと、列車を置いておく場所という意味だった。そこからいわゆる鉄道オタクがその場所に集まるようになり、鉄オタを意味する言葉にもなる。

スコットランドでは、郊外の荒れた土地にTrainspottingがあり、ヤク中の青年たちのたまり場になっていた。

「レントン 部屋」の画像検索結果

レントンが監禁される自宅の個室の壁には一面列車の壁紙がはられている。同じ方向を向いた大量の列車が描かれた壁が遠くに遠くに流れていく。そんな幻覚もタイトルと繋がっている。

 

刑務所を脱走したベグビーは強盗をはじめる。彼には息子がおり、息子にも手伝いをさせようとする。しかし息子は大学でホテル経営を専攻する普通の青年であり、泥棒稼業を拒否する。ベグビーは怒る。

 

ベグビーの父親は飲んだくれだった。鉄道のたまり場(Trainspotting)で、酒を飲みながら若い奴らにからんでいた。ベグビーにはそんな父が恥だった。けれど彼はなにもせず黙っていた。彼は自分の拳で生きてきた。気に食わないことには暴力をふるい、だれかれ構わずけんかを売る。そうすることで生の実感を得てきた。

でも、時代は変わった

息子は大学に通い、まともに生きていこうとする。

逃れることができない過去はベグビーの存在そのものだった。だから彼は、死を覚悟して、息子と別れて、レントンを殺しに行った。

 

 

Trainspottingの20年の意味がここに結実する。

 

 

オレたちの時代はエキサイティングで、でもどうしようもなくて

嬉しいことも哀しいこともあって、もがいてきたけれど

どうあがいても、スコットランドの辺境に戻ってきてしまう

金があればあるで薬物に使うし、なければ暴力にはしる

 

低きへ、もっと低きへ流れていく

でもお前たちは違う

選べるんだから選べ

 

 

  • 蛇足

映画論とか物語論は分からないけれど、映画を見ることの意味はオルタナティブを提示することだと思っている

今生きている生き方から逃避するというよりも、現実を相対化していく感覚

「あ、こんな生き方もありなんだな」

「たとえこのまま人生落ちていったとしても、それでも生きていけそう」

今ある場所はあたりまえじゃないし、いつか壊れるかもしれない

例えば、シンゴジラみたいな怪獣映画の破壊はまさに現実の破壊だったわけで、それはポスト311映画と呼ばれた。

でも本当は社会全体の激動というマクロな視点(社会はどう立ち向かっていくのか)以前にきわめてミクロな視点(明日生きているか、ヘロインを今使うかどうか)があって、20年というときの流れはそこに変化を生み出したり、生み出さなかったりしている

その面白さこそがこの映画なんですかね