古墳に入りたい

就活日記

イスラムの墓

GWなので

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山梨県の塩山にあるムスリム墓地に行きました

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曲がりくねった坂道を登っていくと

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こんな看板が見えてきます

 

ムスリム墓地といっても、区画の一部をイスラム式の墓にしているという話

文殊院曹洞宗のお寺です

 

在日ムスリムは亡くなった場合本国に帰るという選択肢があります

とはいえそれも難しい現状がある

文殊院では、先代の方丈のご縁で日本ムスリム協会から依頼を受け、一部区画を分けていたということです

今では清水などにムスリム墓地があり、こちらでの埋葬は減少

方丈が代わり、今ある縁を繋いでいくことを大切にされているそうで

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で、

重要なのはここからなにを考えるか

 

オープンスペースとしての霊園を構想していた頃、メディアとしてのお墓を経由すれば異なる文化が和解できる、と考えていた

僕は中田考の、ムスリムと西欧が理解し合えるという考えを捨て、講和するべきだという主張に同意する

つまり生者は分かり合えないのだと

しかし死者は常に二次創作される

信長と家康のBLが可能であるのと同じように、ムスリムキリスト教徒も愛し合える、というメッセージが読み取られるはずだ

 

様々な宗派が共存できる霊園は死者のユートピアに思えた

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しかしそれは違った

都内霊園は人気沸騰で倍率も高い

かつ、今では霊園は民間に任されている

 

お墓は社会を写す鏡だ

ピラミッド、古墳、教会、先祖代々墓、納骨堂、散骨

全てその背景にある社会を反映している(卒論でその歴史に触れたい)

共存する理想空間としての霊園の時代はすでに終わり、やはりここでもコミュニタリアン的墓地とリバタリアン的墓地が誕生している(のではないか?)

 

簡単にいえば、現代のお墓はできれば考えたくないもの、であり、商材である

 

 

それでも僕がお墓を考えたいのは、

死がこの世界で唯一平等なものだから

 

人間は平等でないからこそ平等という概念を発明した

みたいな話は割愛するけれど

少なくとも誕生したことすら、競争原理を勝ち抜いたわけなんだから、平等なんてない

それでも生まれてきた存在に唯一共通するのは死ぬことだ

だから、古代の偉い人は不老不死を求めた

特別であるために

 

 

そして、人(社会)は死に対して何かしらの思いを抱き、何かしらの行動を示す

それがお墓

平等に与えられた死を前にすれば、社会の関係性を結び直すことが可能になるのでは?というのが今の考え

 

 

墓を作ることは経済合理的ではない

ピラミッドを作る暇があったらもっとやることあるでしょう!

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それでも人は社会は、ピラミッドを作るし、今だってよくわかんないのに石の塊に祈る 

人間らしさはそこにある

だからお墓はおもしろい

 

 

卒論の形式の話はまだ考え中

 

 

ムスリム墓地に戻ると 

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偶像崇拝をしないムスリムも墓参りをするという

イスラムの世界は一括りにできないほど多様だから、もっと勉強しないとね