古墳に入りたい

就活日記

社会学も東浩紀もキライでいいから

いい本

 

社会学とか臭いと思っていた

ましてゲンロンなんて、

知識人気取りが群れている、拗らせた大人の集まりだと

1人の若者がそう思うのは無理ないし、実際そうかもしれないし、別に知りたいとも思わないけど

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だけどこれはいい本だ

そういえば、僕が社会学を目指した根本には東浩紀がいたってことを思い出す

サブカルをメタ的に見る👀、

大学に入ったら、セカイ系とかそんなレポート書くのかなって思っていた(結局書くことは無かったが)

というわけで

社会学もキモい

東浩紀も臭い

そう思って中指を立てるのは簡単だけど

読んでみてもいい本は存在するわけで

 

それが『ゲンロン0 観光客の哲学』だと思う

 

以下はメモ📝

 

社会=ネットワークは

同時にスモールワールドとスケールフリーである

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ここから

ひとりひとりが人間として遇されるコミュニタリアンなコミュニケーションの圏域と

人間が動物の群れとしてしか計数されないリバタリアンな統計処理の圏域が

同じ1つの社会的実体の2つの権力論的解釈として同時に生成する

らしい

 

これは

国民国家ヘーゲル)と

帝国(ネグリ)の二層化である

らしい

 

んで、

ただのマルチチュードネグリ)ではなく

誤配という偶然性に依拠する

郵便的マルチチュードイコール観光客が大切

らしい

 

東浩紀は政治的連帯、アイデンティティの核として、新しい家族に注目する

階級、土地、血、結社や趣味の共同体はすでに使い物にならない

らしい

 

そして

ドストエフスキー弁証法から

リベラル→コミュニタリアンリバタリアン→観光客

普遍主義→国家主義個人主義→誤配

 

最後に

家族的類似性に基づき、新生児に接するように他者と接すること

らしい

 

スッキリ

だけど当たり前じゃね?

って思ったりする

 

僕の今の問題は、小さな核が大きな世界といかに繋がれるのか?

という問いであって

小さく閉じて安定した世界が暗に排除を含みながらも共存し、多様性を広げることで進化していくことが人類の究極の目標だと思う

 

国民国家はそのユニットとして最適かとも思われたが、帝国の論理も存在する

だとすると家族というレベル(僕的には小集団と呼びたい)が最適なのかもしれない??

 

うまく卒論に繋がっていくと良いんだけど……