古墳に入りたい

大学生活も残り半年でございます

RADWIMPSから考える神という存在

洋次郎は美しかった。

 

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誘われたので、たまアリのライブに行ってきた

 

RADWIMPSには昔から苦手意識があった

バンプイデオロギーに抵抗を感じていたし(双方のファンは不満だろうが)、そこそこに売れていたから食いつかなかった

だから、正直にわか

 

でもでも

いいものはいいと思うわけで

 

君の名は。

の存在感の大きさがあっての人間開花なんだなぁと腑に落ちたライブだった。

それは

ロックバンドなんてもんを やってきてよかった

という歌詞が語っている

 

 

で、

ライブに行くと感じるのは、小さな神の存在だ

ファンにとって洋次郎は現人神であり、実際照明の感じでそう見える

洋次郎は規範を与える

争うな、信じろ、明日に種を蒔け

よりよい生き方をもたらす神

同時に信者は、より小さな集団を形成したり、独自の儀式の様式を生み出したりする。(たとえばアンコールの作法)

身体の運動と精神の感動は脳内麻薬の放出を促進する

 

時に頭を振りながら

思い出すのはキリスト教ペンテコステ派の集会の様子だ

集団で歌を歌い、気づけば意識を失う

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狂信的にも思えるそれとライブの境界は実際的にはない

 

キリスト教が力を持った理由として

キリストが神と人間の境界にいる存在だったことがあるとどこかで読んだ

 

洋次郎も同様に、人と神の間にいる

(ように見える)

間主観的につながりながら、お互いに傷つきながら

同じ時代を生きる神

基本的に洋次郎は現世を肯定する神だ

ミクロな小集団の神だ

 

 

しかしそんな神にとって、セカイを揺るがしかねない出来事がおきる

それが、ミサイル(理不尽)だ。

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信じたい人と神の間で成立していた現実は理不尽によって壊される危険を常に孕む

だから洋次郎はマクロに接続する可能性を暗に提示することにした

やっぱり平和がいいでしょうと

そのために明日を生きましょうと歌う

 

教義たる歌は現実世界に依拠する

だからこの世が終わるなら歌はなくなる

歌を歌うことの目的はこの世界の存続だ

 

ここまでくると神という概念とがまるで便利なワードのように思われる

けれど、神概念は常に二次創作されるものだ

神は人の世界におり(世俗化)同時に人はいつでも神になれる

 

僕は、文化は宗教からの分化だと思っている

それは社会統合やアイデンティティに関わる

 そして、小さな神がいればコミュニタリアンにとってのネーションも、リバタリアンにとってのシステムも必要ない

生きていくには充分だ

 

それなのに

理不尽はいつも外からやってくる

RADWIMPSはミサイルを止められないけれど

もし、本当にミサイルが落ちていたら、小さな神たちは何を歌うのだろうか

そのとき神は神の座をおりて人に戻るのか

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文化としての神には期限があって、普遍的ではない

つまり本質的に限界が設定されている

しかし

1人の人生から考えればその限界は取るに足らないことだ

リアルな物語から生まれたファンタジーに身を浸せば、一生は終わる

ミサイルにやられない限り

 

 

荒削りな思考は次の日には消えてしまう

だから今日は神の歌を思い出しながら眠りに落ちよう