古墳に入りたい

大学生活も残り半年でございます

#たたみかた いい雑誌

『たたみかた』は逗子にある夫婦出版社アタシ社の雑誌。

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30代のための新しい社会文芸誌と銘打たれている。

なんで30代なんだろう、なんで社会×文芸誌なんだろうって初めて見たときに思っていた。おそらく大手の書店ではあんまり売っていなくて、一度ちらっと見たけど高かったから買わなかった。でもこないだ再開を果たし、ページをめくってみたら面白くて買ってしまった。

 

創刊号、今のところそれしかないけど、そのテーマは福島特集。といってもそんなに福島のことが直接に出てくるわけではない。

 

「無関心層」とか「中間層」みたいなところで。

ふわふわと漂い続けていた。

 

という編集長三根さんの言葉は実は多くの人にしっくりくるものだと思う。

 

開沼さんの福島学にしても、東浩紀のフクイチ観光地化計画にしても、その他あらゆる学者やマスコミや一般人も含めてあーだこーだと福島について意見を交わしてきた。それはどれも一種の「正しさ」を含んでいたけれど、その「正しさ」は時にぶつかり合い苦しいものになっている。

 

その苦しさもとてもよく分かる。

 

距離があることは当たり前で、もやもやしていて、でもなんて言っていいか分からないのも当たり前。それなのに、間違っている!とか、論理的正しさとか、経済的合理性とか、もっと言えばそこに住んでいるという当事者性に依拠しないと何も発することができないなんてそれこそ違うはずだ。

 

「ほんとうは、ずっと気になってました。」

 

そういう形で、そういうやり方で考えることも実は大事なことだと思った。

 

たたみかた、にもいろんな方法がある。

とっ散らかったものを、とりあえずたたんでみる。

広がった気持ちを、一歩一歩まとめてみる。

6年たって生まれたそんな雑誌。

次号もいつか出ると、信じています。

 

 

 

あと卒論にも関連するけれど、この雑誌は語る権利ってなんだろうということを考えるキッカケでもあった。福島の人しか福島を語れない。それもまあ分かる。でも本当の意味で福島の人ってなんなんだろう。今私が福島に住めばそれは福島の人になるし、福島にいる人が東京に来ればそれは東京の人になるかも。故郷という意味ではあり得るけれど、その福島って、結局なんなのってなる。ある場所があって、そこに人がセットされているという考えに疑問が生まれている。日本人なんかも最近はイデオロギー的に扱われているけれど、じゃああなたは真の!日本人なのか?といったらどうなるんだろう? 当事者っていうのは特権化されるけど、実は誰もが当事者になりうるという点で当事者だと思う。死者や生まれていないものに語る権利を認める動きがあるのも注目している。たしかに距離感はあるんだけど、その距離は常に変化しうるし、地殻変動みたいにまたは隕石みたいに状況は一瞬で劇的に変わるのかもしれない。私の中のイメージはまだまだうまくたためそうにない。

 

 

圧倒的暴力主義

以前考えたことのまとめ。

 

圧倒的暴力主義とは、

通常ありえないほどの無条件の暴力を想定する考え。現状の力関係や状態を全て破壊できる。

 

この考えを使うと……

1する/されるが逆転する。

→例えば差別は、するされる関係が持続し続けることで存在できる。圧倒的暴力は、する側についた場合される側が消滅するまで攻撃が続き、結果的に差別は存在出来なくなる。しかしその暴力はする側にも向く可能性がある。なぜなら、する側の薄弱な根拠を理由に圧倒的暴力主義者がする側を攻撃できるからだ。

よって排除を行う者は排除される者に転化する。

 

2現状の状態を失うことへの配慮が無効になる

→圧倒的暴力は経路依存を超越する。なぜなら経路そのもの、現在の受益者を全て抹消できるからだ。

例えば原発や基地について、それがなくなると職を失う人がいてそれを守ることを主張するとしよう。圧倒的暴力主義者はリスクを最大化させ、依存状態にある人を消去することができる。つまり最悪の事態こそが圧倒的暴力である。配慮を訴える人はここで、配慮することがより大きなリスクを覆い隠していることに気づく。配慮とはその実、利権を守るものかもしれない。

 

3現状に依拠した主張が出来なくなる

→例えば議会の多数派が強行な議会運営を行ったとしよう。圧倒的暴力主義者は議会に所属するメンバー全員を抹殺することができる。民意の代表たる議会はこれにより存在出来なくなる。暴力主義者は多数派が強行を行う薄弱な根拠を理由にこれを行える。この場合根拠となるのは多数派がもっていた強引なメンタリティである。

 

さらに言えば民主主義の存在も脅かされる。多数決とはあくまで人間が一定数存在することに依拠する。圧倒的暴力主義者は自在にその人口を減らすことができる。多数派は少数派に、少数派は多数派になる可能性を持っている。民主主義とは圧倒的暴力を前にすればかくも不安定なシステムであることが露呈する。

 

結論

圧倒的暴力主義 は個の存在価値をゼロに近づけると同時に無限に引き上げる。圧倒的暴力を前に人命は風前の灯火となるが、気まぐれに残された者はアダムとイブになるかもしれない。

 

 

この圧倒的暴力とは、かつては神であり病であり戦争であり時間であった。

 

たとえ今が安定優位だったとしても世界は一瞬で変わりうることを忘れてはいけないし、 そのように振舞うべきだ。あなたが貶める誰かがあなたの命綱を握る瞬間がくるかもしれない。

あくまでも、この世界は動的平衡にすぎない。

 

 

選挙の記録

 

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カールシュミットによれば、政治とは友と敵を区別することらしい。

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※写真について

加工済、必要があれば削除

 

 







 

 

 

「劇場版 其ノ灯、暮ラシ」を2回見てしまった……

映画を2回みることなんてめったにないのに、監督の顔が見たくて再び見にきてしまった……

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この映画はMOROHAというギターとラッパーのコンビのアーティストのライブ密着ドキュメンタリー。

といいつつ終演舞台挨拶でプロデューサーのカンパニー松尾さんが言っていたけれど、監督である宮地さんのセルフドキュメンタリーでもある。

 

アーティストは、プロは、本当に凄い!カッコいい。センスもメッセージもある。憧れる届かない夢の向こうのステージの上の。MOROHAも熱くて滴る汗がキラキラしてて-

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(写真集より)

 

でも、そこで終わらない。MOROHAに甘えちゃダメだ。ステージの上で日本のどこかでMOROHAはいつも闘ってる。それに負けちゃダメだ。どんな時も愛せ。どんな時も……

 

映画では、カメラに映し出されるMOROHAのお客さんのそれぞれの、人生が 描かれる。夫婦とか友達とか、夢とか挫折とか、日々の暮らしとか、なんだかこう全部愛おしいなぁって思う。個人的には生活感フェチだから人の家とか愚痴が見られるのは超楽しい。

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宮地さん(左)と松尾さん(右)

 

そして宮地さん自身も!

元カノとの日々をさらけ出す「バラ色の日々」のPVは何度見ても心が震える。あれを撮るということの難しさや辛さは想像もできない。

そして最後の舞台挨拶でも触れられていた祖父の死について。棺桶に横たわる遺体を撮れなかったことを一生悔いるという言葉が忘れられない。どんな時も撮るって苦しいことだよ。死んでいるなって思ったから、自分が生きているって思える。その言葉をきけただけでも2回目を見にきてよかった。

 

すっかり宮地さんのファンになってしまった。応援しています!!

 

そしてMOROHAも!

僕も!其ノ灯を消さないように、燃え尽きないように……

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(写真集より、1番好きな写真集)

 

 

才と材 ディスリスペクトかつエール

お前の鳴らしたBASSの三連音が 果たしてどんな風に鳴っていたか
おそらくお前はわかっていまい
その純朴さとdoingした音の楽しさは まさしく俺を草葉のように震わせた
おまえがその音の特性や無数の立派な順列を 
はっきり知っていつでも使えるのならば
お前は辛くてそして美しい天の仕事もするだろう

だがちょうど今頃お前は年ごろで
お前ほどの素質と力を持っている者は
街と村との一万人の中になら おそらく五人はあるだろう
それらの人またどの人もどの人も 五年の間にそれをなくすのだ
仕事のために削られたり 自分でそれをなくすのだ
今のお前の力が鈍り 綺麗な音が正しい調子とその明るさを失って
再び回復することのないのなら 
俺はもうお前を見ない
なぜなら俺は少しくらいの仕事ができて
それに腰かけているようなそんな大勢を一番嫌におもうからだ
今の俺の力が鈍ったなら いつでも俺を見なくても結構だ

きいてくれ 東京
お前が一人の女を想うようになるその時 お前が一人の男を想うようになるその時
お前が生きるとは 死ぬとは 立ち上がるとは つかむとは もぐるとは ひたるとは
なにか 
それを考えるようになるその時
お前の前に無数の光の影と像が現れる
お前はそれを音にするのだ
みんながいちいち街で暮らしたり いちいち遊んでいるとき
お前は一人で寂しくあの石原の草を刈る
その寂しさでお前は音を作るのだ
多くの侮辱や窮乏を噛んで歌うのだ
沈黙を することを 恐れずに うたうのだ
東京 まじでありがとう
進んでくれよ 
札幌 THA BLUE HERBにマケズにな。

 

www.youtube.com


THA BLUE HERBはラッパー。彼は1999年に六本木で行われたライブでこの曲をうたった。宮沢賢治春と修羅』の中の一節は彼の身体を通って再解釈され、それは知らない誰かの手でYouTubeにあげられ、この耳へと届いて今私の指先を動かしている。

宮沢賢治は報われなかった人であり、それでも創作を続けた人でもある。作り手は、特に言葉を作る作り手は、孤独でなければならない。なぜならそれを誰かが受け取るとき、その人は一人だからだ。隣に誰がいようとも、その言葉はその一人のためのものでしかありえないからだ。

だが、現代の作家はそれほどまでに追い込まれるべきではないとも思う。創作のために命を削り他人を傷つけることはいまやとてもダサい。交流し、会話し、繋がることがいい言葉を生み出す。でも、やっぱりどこかで孤独でいなければいけない。他人が「いちいち」何かをしているときに、何かが違うと思っていてほしい。むしろそう思ってしまうから、たった一人で言葉にうたにするしかないのだ。そうせずに済むのならそうせずに生きればよいのだ。

時は残酷で現実も厳しい。一つの街にそんなやつが五人もいるのだから。ワナビーの群れがとても気持ち悪いと突き放しながら、願うことなしにはたどり着くこともない。それでも紛れないように、埋もれないように、もがくのだ。

きっと辞めたくなるだろう。僕はそれでもいいと思う。それなしで幸せになれるならそうすればよい。でも、その時僕はお前を見ない。お前の魂は冥王星の彼方まで行くこともなく、理解の範疇のつまらないものとして軽蔑されるだろう。だが喜ぶがよい。その時の僕の気持ちの正体は嫉妬に過ぎず、あなたは私の届かぬ地上のある地点までたどり着いたのだ。

誰かが、とくに僕の視界に映る大切な人が傷つくのは見たくないのだけれど。進んでも、引いても。いや、方角や平衡すらも分からずに、焦燥と幸福の中で少しずつ傷ついていく。誰もが傷む。僕はそれを見たくないし、隣に立っているならそっと手を差し出したいと思うのだ。悼む前に何かをしたいと思うのだ。
でも。
時に私は残酷でまさに修羅のように、うっかりと過ぎ去ってしまう。それを申し訳なく思いながら、私自身もうたっていたことを痛感する。

 

五年だ、五年。お前はまだ五年を生きていないし、それは今始まるのだ。
そしてその未来でまた考えたらいい。新しい五年が始まるかもしれない。
宮崎駿は「風立ちぬ」で、才能について10年で勝負がつくと考えた。だがあの映画の中だって次の十年へと向かっていく。

お前にまとわりついた呪いは、けして解けぬものではなくむしろ醒めやすくもろい。だがその不幸が同時に天恵でもあることを思い知るときがくるかもしれない。その時までせいぜいディスられておけばよいのだ。


おわり


THA BLUE HERB 雨ニモマケズより

チェルノブイリに行きました

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1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故は起きた。

それは世界を揺るがす人類史上最悪の出来事であったはずなのに、私にとってはあまりに遠い出来事だった。歴史の授業が描けていない時代の空白、つまり一世代前の現代史は意識からすっぽりと抜け落ちている。当然検索すればでてくることだけれど、まるでフィクションのようにも感じられてしまうものだ。

しかし2011年3月11日福島の原発事故が起きた時から、それは他人事では無くなった。政治的に原発がどうであるとかそういうことも大事だし考えるべきだけれど、それと同時に事故が起きたあの場所をどうしていくか?という現実的問題は無視できなくなった。避難指示が解除されたり除染が進められたり、同時に裁判や責任追及そして再稼働が行われる中で遠くにあるチェルノブイリが気になっていた。多くの年上の人々はその名前を度々出していたし、東浩紀氏がゲンロンでチェルノブイリツアーを企画しているのも興味をそそられた。

だから、大学を卒業してしまう前に一度行ってみることにした。それも一人で。チェルノブイリはツアーでしか入れないのでネットで検索してよくわからないまま申し込んだ。あまり事前に勉強もしないようにした。ただ観光客として、軽い好奇心を動機として陰鬱さを持たずにそこに行ってみたかった。

「学ぶ」ことは素晴らしいことだけれど、時に先入観をできるだけ捨てて直感的に遭遇することが新しい発見につながると信じた。これはそういった旅の記録だ。

 

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  • ダークツーリズム

 チェルノブイリはダークツーリズムの代表的存在だ。人類の負の遺産をあえて訪ねる。悲しみから学ぶことも多くある。そしてそれ以前にダークなものはスリルがある。チェルノブイリでは廃墟がたくさん残されている。崩れかけの建物の中へ入っていくのはドキドキするし、ガラスの破片をこんなに踏みつけたのも生まれて初めてだった。

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大量に捨てられたガスマスク。ここは発電所に最も近い街プリピャチの小学校の廃墟だ。ダークツーリズムでは若干の演出も含んでいる。例えば当時のものに見える楽譜が落ちていたり、怖く見えるように人形が並べられていたり。

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 これは室内の飛び込みプールとバスケットコートがあったスポーツ施設の廃墟。プリピャチはかなり大きい街で5万人ちかくが暮らした。発電所で働く若い家族が中心だった。今では森に囲まれていてその中にコンクリート造りの廃墟が立ち並ぶ。ゴーストタウンである。

ガイドはできるだけ奥へ奥へ旅行者を連れて行こうとする。ツアー参加者も恐怖心と好奇心を覚えながら探検を楽しむ。そのガイドと地元警察がもめていたのが印象的だった。過去にツアー参加者が廃墟でケガをしたらしく、多くを見せたいガイドと安全を守ろうとする警察の間でひそかに対立がおきていた。

フクシマでいえば約四半世紀先の未来、普通の小学校やマンションの廃墟を旅することをなんとなく想像した。見慣れた町が森に包まれてゴーストタウンになっていく。そこを世界中の人々がドキドキしながら歩いていく。そんな時が本当にくるのだろうか。

 

  • のどかな

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発電所付近にはチェルノブイリという名前の新しい街ができている。一時的に滞在する人のための施設や廃炉作業をする人のための建物が立ち並ぶ。観光客もツアーによっては泊まることができるらしい。

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事故当初に亡くなった消防士を慰霊する像があった。ツアー参加者はこういったスポットでマイクロバスからおりて写真撮影をする。

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そして遠くに発電所本体が見えてくる。銀色に光るのは「石棺」を覆う新シェルター。川には大きななまずが泳いでいて気持ちのよい天気だった。この場所であの事故が起きたということが信じられない。作業自体はずっと続く。

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惨劇は想像を絶するものであったはずだ。発電所の周りはあまりにも静かでそれが逆に不気味だった。人類の英知によって封じ込めたかに見えるけれど、その圧倒的な存在感は異常だ。

 

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ツアーコースは基本的に除染が進んでいる。とはいえ森の中にはホットスポットがたくさんあって、ガイガーカウンターをかざすと警告音が鳴る。目に見えない恐怖は残っている。

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汚染を外に持ち出さないように出口で2度放射能チェックをする。ここで引っかかると除染しないと帰ることができないらしい。当然汚染区域では地面を触ることが禁止されている。飲食も禁止。内部被ばくの恐ろしさを説明される。

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観覧車の廃墟に向かう図。半袖半ズボンはできるだけ避けたほうがいいとHPには書いてあるが意外とゆるい。ただ地面は汚染があるのでしっかりした靴は必須。

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最も高い線量を記録した、「クロー オブ デス」。汚染されたものを処理するのにつかわれていた。通常1マイクロ、高くて2マイクロシーベルトが汚染区域の標準だが、ここでは200マイクロシーベルトを記録した。

汚染された木が埋められている「赤い森」もかなり危険で、その間をバスで通るだけでガイガーが鳴る。ここでバスを停めることすら禁止されている。そんな呪いみたいな場所がこの世界にあるということに衝撃をうけた。

 

  • 「感じ」

チェキやスマホの写真を撮りながら、たとえそれがチェルノブイリであってもいい感じになってしまうことに気づく。ドキュメンタリーをテレビで見ても、写真集をめくっても、この場所はなんとなくの感じを持ってしまう。それが少し怖い。チェルノブイリとはある一定時間のメディア経験にしかならない。なんとなく怖い感じの、なんとなくが引っかかる。

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だから、現地に行かなければいけない。割れたガラスの感触や高線量の不気味さや検問の厳格さを体験しなければいけない。発電所を覆うカバーの巨大さやゴーストタウンの有様はそこでしか分からない。

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チェルノブイリツアーは別に全人類の義務ではない。でも現に原発を使いそして事故を起こした以上、ここにくる意味はある。そして、25年後日本人はチェルノブイリに行く側から福島に迎える側になる、はずだ。チェルノブイリもかつてソ連時代からかなり隠蔽されてきた。それが徐々に後世に引き継ぐべき経験として開かれるようになった。除染は限界まで進む。でもそこには確かに限界があって、もはや生き返らない街、死んだ土地がこの国にあることを認める勇気が必要だと感じた。

ここに一人で行って良かった。

 

おしまい

 

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 ゴーストタウンに暮らす猫。観光客の人気者。

 

※気が向いたらこの記事は追記予定

 

 

森友学園の(建物の)今

あれってどうなったんだっけ?って思うことが最近よくあります。森友学園はその筆頭で、籠池夫妻なんてあんなに盛り上がったのに気づけば、「このハゲー!」の人とか加計学園なんかにやられてしまって……結局何がどう悪かったかもやっとしたまま夫妻は逮捕されてしまいました。

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そんなわけで?大阪ついでに豊中に立ち寄りました。梅田から15分くらい。

夏の暑い中、幹線道路をしばらく歩いてしずかな住宅街にはいります。大きくて新しく綺麗な公園の横にはテレビで見た赤い建物が!赤の赤が思った以上に深みのある色で綺麗。あと、「安倍晋三」といれようと考えていたらしい校名の部分は確かに不自然な空白があります。裏側に回ると木材が少し積んでありましたが、建物の工事自体はかなり終わっているようです。

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正面からみるとこんな感じ。どこも策に囲まれています。

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籠池さんの名前が。印象的なのはやたらと国有地です、という看板が出ていたこと。今は国有地扱いになってるんですか?

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遠くから見た感じ。隣には大阪音楽大学がありとてもいい環境です。ニュースを見た感じゴミが埋まっているとか高速と空港が近いとかごちゃっとしたイメージができていましたが、実際は住みやすそうな街です。

写真を撮っていたのは他に1人でした。あとは地元のおじいさんがとなりの公園で学園を眺めていたり、自転車で通る人が指差していたり。メディアが殺到してたのはもうずいぶん前のことですから今は相当しずかな場所になってます。

 

結局あの建物はどうなるんですかね?

思想云々は置いておいても、わりといい建築だと思うので活かしてあげてほしいと思うのですが。

 

世間が完全に忘れた頃にまた行ってみたい場所でした。