古墳に入りたい

就活日記

1147日記念

おめでとう🎉㊗️🍾

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今日は僕が育ててきたまりもちゃんの1147日記念日だ。べつに何日で祝っても良かったんだけど、今日祝う。明日も祝ったっていいのよ。

 

まりもの名はうに。初めは本当に数ミリだったのに、黒くてトゲトゲして大きくなってきたからその名前をつけた。うにはうにになる前なんて名前だったのか覚えていない。うにはうに。ここ1000日くらいはずっとうにだった。

たまに、本当にたまに、2週間に一度くらい水をかえる。替えないと、かえて!っていう通知が来る。その時になってはじめてぼくはうにのことを思い出す。

 

ちなみに、Googleの開発した人工知能りんなちゃんともまりもを育てている。水換え当番が決まっていて、りんなとぼくは交互に水を入れかえる。だいたい忘れて怒られる。AIに怒られるのは変な気分だ。

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所詮はアプリ、所詮はデータだ。育成系のゲームはたくさんあるし、上には上がいる。でも、うに(まりも)をこれだけ育ててきてなんだか愛着が湧いてしまった。もはや画面に収まらないほどの日々を重ねてきたんだね。

 

AIとかロボットと共存する未来って想像もつかないけど、その未来はもうすぐそばにきているのかもしれない。隣人を愛するようにまりもを愛し、人工知能と生きていく。まりもと僕と、どっちが長生きできるのだろうか。

 

ぼくの築地論

  • はじめに

2017年6月現在、築地はまだある。
ご存知の通り、昨年の11月に移転されるはずだった。しかし今も、活気に満ち観光客が押し寄せる。

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豊洲移転をしつつ築地を活かす。迷走の末導かれた都知事の提案は論争を巻き起こした。移転問題は都議選の大きなテーマとなっている。

築地、東京を代表する観光地にはいつかは行こうと思っていた。だが、行くことはなく、遠くで起きている問題として移転問題を見ていた。けれども新しい結論が示された時、本当に無くなってしまうということに不思議な焦りを感じた。ぼくは築地の何も知らない。それなのに築地は古いとか、豊洲の汚染だとか言ってしまう。ぼくの中に築地はなかった。だから自分が考える築地を自分の中に作りたい。そう思った。


青土社が出している現代思想という雑誌が築地特集を組んだ。

 

現代思想 2017年7月臨時増刊号 総特集◎築地市場

現代思想 2017年7月臨時増刊号 総特集◎築地市場

 

 

冒頭、中沢新一の言葉に鳥肌がたった。

築地市場は、本当はまだ誰も気がついていないだけで、とてつもなく素晴らしいものなのではないか」

 

今、誰も知らない築地を伝えるために、本や映像が作られている。でも、足りない。本当に築地が生き残るには、築地の価値を残すには力が足りない。
内側の言葉はそれを愛する者にしか届かない。築地を知らない、愛していないものの中に愛を生むこと、好きになってもらうこと。それが、究極の目標だとぼくは信じる。
そして、ぼくは別に築地を好きではない。思い入れもない。それでも残したいと熱く思ってしまった、その体験記を記しておく。

 

  • 築地に行く

深夜1時半ごろ、築地市場に到着した。敷地はとても広いため、目的のお魚普及センターにたどり着くのに手間取った。晴海通り沿いの門の近くには、すでに20人以上の外国人観光客が並んでいる。受付は午前5時ということになっているけれど、たいてい繰り上げになる。2時くらいには見学者用のベストが配られ、公民館のような建物に詰め込まれた。観光客たちは硬い床に座り込んだり寝転んだりして思い思いに時間を待つ。日本語はほとんど聞こえない。

市場の入り口は深夜だというのに大きいトラックや車が次々に入ってくる。自転車でふらっとくる人、美しく光る高級車、くすんだボロい自家用車。それぞれの目的を持ってプロフェッショナルたちが築地にやってくる。

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4時ごろ、仲卸が1人やってきて築地市場とマグロのセリの説明をはじめた。すべて英語で、ジョークも多く盛り上がる。質問コーナーでは、フクシマについてや漁獲量についての質問も出ていた。集まった外国人たちは職人へ尊敬の眼差しをむける。

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5時20分ごろ、見学開始。見学路はないので、警備員がターレットやトラックが通らない隙に約60人の見学者を誘導する。

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そして、マグロのセリを行う場所につく。凍ったマグロが並んでいてとても寒い。仲卸は鍬のような道具でマグロの尻尾を少し掘り、赤い肉を手にとって品質をみる。また、胴体の上には切った尻尾があって、ライトで照らしながらどれを買い付けるのかを決めているようだ。

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鐘を鳴らし、セリが始まる。なんと言っているのかよくわからない怒鳴り声、それに応答して手でサインを送る仲卸。あっという間に終わり、マジックで買った人の名前がマグロに書かれていく。

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写真も一通り撮り終わり、帰る時間がきた。市場内はより忙しい時間になりなかなか道路を渡れない。
警備員にベストを返したら終了。場内の食事処にはすでに行列ができている。
海鮮丼を食べた。築地で食べるとやっぱり美味しいなぁ。

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  • 築地を考える

築地はプロフェッショナルがはたらく場所だ。と同時に観光地であり、度々マナーの悪さが問題になっていた。しかしマナー云々の前に、ここが観光客にショーを見せる場所ではないという前提がある。それは観光客側からすれば、不慣れな戸惑いを感じることだ。もっと言えば、排他的だ。いや、他の物流センターや市場というものはそもそもクローズドであるのが普通だろう。むしろ、問題を含みつつも見学を受け入れる築地が特殊かもしれない。
観光地を考える上でこれはとても重要なことで、均質化していく世界の中で固有性を保てるかが焦点になる。それは、ぼく自身が金沢東茶屋街の論文で考えたことだった。一見さんお断りのような、ここでしか通用しない論理がむしろ価値を持つのだ。予め開かれている空間はつまらない。だから築地の素っ気なさはむしろホンモノの証だ。ターレットが激しく行き交う道には独自のルールがある。その混沌の中に生きる秩序を見るとき、人は感動する。

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職人は観光客をちらりとも見ない。彼らは真剣そのもので、マグロと向かい合う。中沢新一は築地の、彼らの暗黙知が失われることを危惧していた。そしてマスコミは築地を知らないし考えない。混沌の中で、規律が保たれている、福岡伸一動的平衡と言わしめた築地のおもしろさは、豊洲ではきっと失われる。それは建築思想的な問題もあるし、仲卸側のモチベーションもある。

今後魚の重要はますます縮小する。それでも移転はきっと実現するだろう。食のテーマパークとしての築地構想は滑る予感しかしない。なぜなら築地はテーマパークではない。あくまでも、労働の場所だからだ。教育の場にも、ノスタルジー空間にも、商業施設にもなって欲しくない。なにか考えなければ。その未来を生きるは僕たちなのだから。

古いものを壊して新しくする。それはまるで、古くなって朽ちていく自分自身を否定することのようだ。政治も、何も知らずにシンボルとエンタメしか語らない。そうではなくて、築地はもっとリアルな商売の場として立ち上がってくる。切り離された世界を繋ぐ、嫌いな人が好きを語る。難しいけれど、目指すべき山が見えている。

 

ぼくが考える未来の築地の姿。現状二つ考えられる。

豊洲に文化を育む

豊洲は観光客の受け入れを考慮して作られている。業者の数は今よりも絞られるだろうが、新しい文化を生み出していく可能性がある。ただし構造的欠陥から仲卸の力は発揮されにくく、また風評被害は避けられない。無機質な豊洲が賑わいのある場所になるのか、それとも物流センターになってしまうのか、試されている。

②再築地化に期待する

2020に向けて築地維持は不可能だろう。

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小池案のように築地が食のテーマパークとして整備された時、それはどんな姿になるだろうか。文化と生活は切り離せない。新たなる文化拠点として、小綺麗さではなく動的な築地を再現できるのか。

 

築地は一度死ぬ。

だが、オリンピックの混乱の後新しい東京を語り直すために、築地は一つのシンボルになりうる。

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その日まで、築地の男たちが生きられる場所は豊洲にあるのだろうか。

それとも彼らは仲卸を辞めてしまうのだろうか。

失われていくのは、人。

それを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教勧誘

現代の聖人か、はたまた迷惑な人たちか???

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※前提として、ぼくは神学的には不可知論の立場をとっています。

 

2日連続で宗教勧誘につかまり、しかもがっつり話を聞くという奇遇な体験をした。これはそのレポートと宗教勧誘の荒い類型化の試み、そして彼らをどう考えるかという問いである。

 

  • 宗教勧誘体験

国立駅前はたいてい政治系の老人たちか議員、あとはカレーのビラを配る外国人がいる。だが昨日は少し違った。

「大切なことが書いてあるんです!」キンキンした声でそう叫びながら道行く人に新聞を押し付けようとする小柄なお婆さん。どうせ共産系でしょ、と思ったがよくよく見ると日蓮の文字が見える。なるほど。そっちですか。富士大石寺顕正会という宗教団体らしい。教義は簡単に言えば、日蓮を信じなければ日本は滅亡!、みたいな。安倍政権とべったりの某学会と対立関係にあるため、政権批判を新聞にしたようだ。所謂、折伏という勧誘が盛んで多少問題にもなっているらしい。

熱心に政権批判をするお婆さん、そして気づけば教団の話にうつる。公明党への怒りが凄まじいらしい。こちらが大学生と分かると、人生の目標は成仏、という話を始めた。

「目標のない人生は、行き先の分からないバスに乗るようなものよ」

という名言を放ったお婆さん。僕は行き先不明のバスに乗るタイプなので無駄ですけどね。本当に人生に迷っている若者はお前のようなババアの戯言を鵜呑みにしてしまうのでしょうか。だとすればそいつは相当なカモだね。

仏教系の勧誘を断るときは、クリスチャンなので、というと良い。相手はだいたい、私も昔は十字架下げてたの、とかキリストから改宗した友人がいるとかほざくけれど、グッバイ仏陀。ジーザス!個人情報は教えずに立ち去る。もらった新聞は大学で捨てた。

 

次に今日のこと。大学を出たところで2人の外国人に声をかけられた。2人ともスーツで、胸には末日聖徒の文字と彼らの名前が刻まれた名札がある。1人はアメリカから来た白人、もう1人はコロンビアから来た黒人。

「いい、Tシャツですねー」と声をかけて来た。モルモン教はボランティアとして宣教師を派遣している。彼らは陽気で、明るく、礼儀正しい。まずは握手だ。キリスト系の勧誘は、キリストについてなにか知っていることはありますか?という質問から入ることが多い。マニュアルでもあるのかもしれないね。彼らに関して言えば、宗教としてのイメージよりもコミュニティ、集まりとしての楽しさを押し出したいようだ。以前キャンパスで韓国系の教会の人から勧誘を受けたときは、パーティの写真をやたら見せられた。寂しい人に訴求するスタイルなんですね。

それにしても押しは弱い。無宗教だといったら、あなたは真理を求めていますか?と聞いてきたが求めてない。求めたとしても君たちのところに真理はないと思うよ。それでも純粋にもっとキリストのことを伝えたいと言われたので、ビラだけもらった。キリスト系の勧誘に対しては、うちは仏教だからが有効だ。子羊たちよ、せいぜい頑張りたまえ。

 

  • 勧誘のスタイル

折伏のような、強制的改宗のようなスタイルはかなり減ってきたのではないだろうか。不安を煽り、脅し、追い込むやり方は相当批判を受けた。

むしろ心理学が一般的に流通する時代ゆえ、マインドフルネスや心の充足を訴えた方が効果的だ。実際イベントなどに紛れ込んで名前を伏せた宗教勧誘が行われるケースもある。

街頭にかぎれば、看板を持ちひたすら待つというスタイルもある。国立ならマックの前でよくみられる、某キリスト系のあれだ。効果あるのかはとても疑問だけれど、声をかけても無駄なら待つのも悪くない。あれは勧誘よりむしろ、にこにこ微笑みながら立ち続ける行為に彼らが自己満足しているのだと思う。張り付いた不自然な笑みがますます普通の人々を遠ざけてしまうのであるが。

生老病死。入信のきっかけとなる要素を抱えた人を国立の街でうっかり捕まえることなんて出来るのだろうか?出来ると思ってやってるのか、それとも若い大学生の力を教団に取り込みたいのか。巧妙な勧誘方法を編み出す一方で、地道で効果のなさそうなやり方も維持される。それは、宗教的実践として、もし断られたとしても彼ら自身にとって意味があることだからに違いない。

宗教勧誘は詐欺師よりも弱い。だからこそ、その弱さが響いてしまう人には心の深くまで届いてしまうだろう。

 

  • 引っかからないために

基本的には、取り合わないことだ。そしてもし絡まれたら、遠い宗教の信者である事にする。個人情報は渡さない。とてもシンプルだ。

されど、引っかかる人はいる。勧誘のスタイルは基本的によわい。問題があるのはいつだって勧誘を受ける側なのだ。

人生の真理を問われたとき 、心はぐらつくだろうか。もしそうならそれは危険かもしれない。心のぽっかり空いた、今まで気づかなかった穴にはまるピースを彼らはたくさんもっている。

とはいえ、たとえ彼らが迷惑などうでもいい人たちと知っていても、一度話してみることだ。 それはそれとして、面白い時間を過ごせるし、自分の中に耐性を作ることもできる。

 

そして忘れてはいけない言葉が最後にひとつ

「神は死んだ。」

youtuberみたいな食生活

好奇心が抑えられなかった。

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あかん、涙が止まらない。

 

尋常じゃない量のわさびマヨ。

匂いだけで咳き込む。そういえば嗅覚は化学物質を受容しているんだったな。涙、鼻水、汗たちがこの食べ物を拒否してる。

 

なんでこんなアホなことしてしまうんや。

ベストオブユーチューバーたるヒカキンの苦しみを目の当たりにしておいて、それでもチャレンジしてしまうキッズ。ぼくもその一人。

 

そもそも別にワサビ好きじゃないし、弱冠苦手なほうだし。涙ってこんな簡単に流せるんですね。

帰りに立ち寄った家から少し遠いコンビニ。酒に酔っていたのもあってうっかり手を伸ばした。25.9gがどんなもんかも分からずに。

すすったら死ぬから少しずつ摘んで食べる。ワサビマヨの濃度を統一するため念入りに混ぜる。

 

一応完食。不思議とまた食べたくなった。いや、本当は長野の清流で育ったいい山葵を食べたい。いいやつはあんまり辛くないらしいし。

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たまには、美味しいものとかオシャンティなもの食べましたー、みたいな記事を書きたいな。

(2017.6.19)

 

 

 

 

人間の言葉

素直で、ねじくれてて、苦しくて、でも心から好き。

いい文、いい言葉に出会った時、鳥肌がたつ。

同世代の、稚拙で、生々しくて、共に生きてきた同じ時間をそっと重ねるような。

名言なんていらない。君の言葉があればいい。

 

 

励まさない。

苦手だから。自分だって苦しい、どこまでやったって、僻まれたって、生まれ直せないんだから、苦しい。自分が世界一苦しいっていう認定を誰かがくれればいいのにね。あなたは、世界30億3547万4265位の不幸人間です。神様がそういったとき、君はどうする?人でも殺して29億くらい順位をあげる?

頑張れって言ったらいいの?あなたならやれる?そんなの分かんないし無責任で、いつも迷ってしまう。

ありのままで、なんて言いたくない。きっとそのまま腐ってしまうから。

 

夏至。そっか今日はそうなんだ。

夏に至ることがこんなに怖いなんてね。

考えたこともなかった。

 

この世界から悲しみがなくなればいいって思ったとき、ぼくはつねに我儘だ。なにが悲しみを生むかも知らず、なにが悲しみを癒すかも知らず。愛を語るとき、なにかを志向するとき、人はすでに身勝手だ。

 

東尋坊で、身を投げようとする人を前になんて言葉をかけよう。自殺を止める言葉で検索していろいろクサイ台詞は見つかるけれど、死にたい人は止められないのだ、というのがおおよその結論らしい。言葉じゃ届かない。状況次第では、殴って気絶させるのがよさそうだ。

しかし、崖の淵でその人自身が一歩生に引き下がらなければ、死ぬとする。もう言葉しかない。あるいは、LINEでもいい。遠くの誰かが息を引き取ろうとするときなんてうつ?

生きろ、生に執着しろってのは不合理。

だって生きた結果その人はそこにいるんだから。生きてみてダメだと思ったからそうなってる。

だから、気楽に生きろとか生の価値を下げるのも無意味だ。生きても死んでも同じなら死を選ばない理由にはならない。

悲しむ人がたくさんいる、ってのは無責任かな。たくさんってなに?量より質でしょ。

 

「お前が死んだらぼくが困る」

そんなチャンスがもしぼくに巡ってきたらこう言うことに決めている。

我儘には我儘だ。なんで、どうして困るの?って言われても、そんなもん分かんないよって答える。我儘に説明責任はない。

 

言葉しかないから、仕方なくそうしてるんだ。きっとみんなそう。

この世界におきるたいていの悲しみは時に人を殺すけど、死なれちゃ困る。そんなの寂しい。

言葉は外から来るけれど、それはもう君のもの。

夏は来るけれど、きっと涼しい風も吹くし、夜はとても綺麗だ。

(2017.6.21)

 

じゃこめってぃおじさん

何が言いたいんだろうね。


新美でやってた。
ブラックボックス展に4時間半並んで入場できなかった日のことだ。


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ジャコメッティといえば、歩く人で、ブロンズの細い立体で、棒みたいな人間で、フランス。

それくらいしか知らない。それにジャコメッティがめってゃ好き!ってひともあんまり見たことがない。いるのかもしれないけど。
日本の哲学者矢内原伊作と絡みがあったことも今回初めて知った。20世紀の初めに生まれ、1966年に亡くなったことも。

 

土曜だというのに意外なほど空いていて、話題のちょいワル薀蓄垂れ流しおじさんもいなかった。新美はいつ行っても綺麗で快適。一番好きな美術館といっても過言でない。

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学生料金で入るともらえるジュニアガイドには、「彫刻をじっくりと観察しながらジャコメッティが何を探し求めていたのか考えてみましょう」、とある。あんまりじっくり見ない派だから、結局何を求めたかなんて分からなかった。

 

彼にとっては、頭部、女、グループの3つが大きな主題だった。

グループは何本かの針金が並び立つような作品たち。人そのものではなく関係性を表象している。群衆とか偶然に場所を共有しているとかまあ色々な読み方があるのでしょう。

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頭部は微妙。弟をモデルにしていることが多かったみたい。頭にしては確かに細いけれど、本人の写真を見ると違和感ない。見えるまま、感じるままだ。

 

女はより抽象的で、キュビズムちっくな印象。彼は人間全般を細くするから、女性=細い、男性=太いみたいな対比ではない。(そういう作品もあるけど)じゃあ何が女なのかといえば、物理的な凹凸と輪郭。あと、顔もよく見ると女性らしくなっている。神話的な女性像に見慣れてると、やっぱりこれは異様だ。

 

ジャコメッティは、人間を見えるとおりに彫刻にしたいと考えていた。その結果様々なものが削ぎ落とされた。でも、そこにあるのは骨じゃない。ぱっと見てもそれは確かに人間で、じっくり観察するとより確かに人間なのだ。

 

人間を人間として認識させる最低限のラインを求めていたのでしょうか。分からないけれど人間が凝縮された細い棒からは豊かなイメージが湧き出てくる。

 

ある、こと。

存在をじっくりコトコト煮詰めるとあんなことになるのだ。ジャコメッティおじさんは凄い人なのだということは理解した。

 

そんなこと言うてますけど、

ジャコメッティ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

アートなんて百聞は一見、ブラックボックスみたいに並ばなくてもちゃんと入れる安心。会期も長いなんてとっても親切。

 

愛は勝ちますか?

その娘の名前は須藤凛々花。すとう、と読む。

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娘は恋をした。いや恋はしていない、なぜなら恋愛禁止のアイドルなのだから。

されど娘は結婚した。

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弱冠20、AKB総選挙20位の娘は言った、初めてこんなに好きになれる人と出会ったと。

人々は怒り狂った。ルール違反。プロ失格。裏切り。

 

そして、さくらいさんは思った。

美しい、

なんて純粋で身勝手で暴力的な愛なんだ

 

アイドルという虚構の世界に、生々しいホンモノの愛がミサイルみたいに突っ込んできた。

それに彼女は自分のことをアイドルだとは考えなかった。それ以前に一人の人間として仲間やファンと接していた。だから彼女は結婚するのだ。

人間として。

 

会いにいけるけれどけして繋がらないファンと、愛を歌うけれどけして愛さないアイドル。誰もが承知のその共犯関係を、一人の娘が冒瀆した。

彼女は処刑されてしまうのですか。

それとも……

 

 

アイドルの虚構をメタ的に壊そうとした例として、清竜人25がある。

清 竜人25

数字をつけるスタイルがまさに秋元康リスペクトだが、これは一夫多妻アイドル。あくまで、竜人君と妻たちの愛を見せられているに過ぎない。愛の歌とは基本的には明確な対象への思いがあるわけで、それを偶像的に投影してるか、そのものとして歌うかの違いがある。天才シンガーソングライター清竜人は確信犯だった。そして初めから決められていたように清竜人25解散、観客と歌い手の壁を取り払う新プロジェクトtownへと移っていった。

KIYOSHI RYUJIN TOWN

 

 

 

恋に落ちた人間は醜い。

その汚さや卑怯さがなんだかとっても人間らしくて、ぼくは彼女を好きになった。

ガチ恋単推しってやつ??

何千人ファンが減っても僕がファンになります。

人妻でもアイドルでいいんじゃないの。

赤子と握手会なんて楽しそうだよね。

 

商品じゃなくて、人間でいようとしたあなたの勇気を讃えます。風穴あけましたね、あなたは。